昨年の春に、建築史家の倉方俊輔さんが、北九州市小倉にある西日本工業大学のデザイン学部建築学科准教授として就任された。地方都市では、優秀な人物がひとり増えるだけで、その状況が大きく変わることがある。氏がはじめた公開連続セミナー「デザイン・建築の現在」や(これについては別の機会に書きたいと思う)、その他、昨年春以降に氏の周辺でおこった出来事の多くがそれを物語っている。ボク自身、昨年のデザイニング展で開催したトークイベント「TRANSMISSION2010」や、夏に開催された「5×2020」展など、とてもお世話になっている。事実、倉方さんが小倉に来てからというもの、小倉に訪れる回数(小倉で飲み歩く回数、笑)が激増した。
語られることで文化になる
その倉方さんを講師に招き、2010年12月3日に「福岡市都市景観賞」の記念セミナーが開催された。24回目の開催となった福岡市都市景観賞は、市民の方々にまちやまち並みに興味をもってもらおうと、福岡市の都市景観室が年に1回表彰を行っているものだ。最近では、いわゆる「建築物」だけでなく、「能古島行きのフェリーから見た福岡の風景」など、ある場所からみた建築物の集合としてのまちの景色や、民間による活動など無形のものも表彰されるようになってきている。24回目の開催となる2010年度も、市民の主体的な呼びかけによって保存されることになった桜並木「桧原桜」や、野田くんが企画・運営を行う、2008年から2023年までの15年間限定の建物再生プロジェクト「紺屋2023」などが表彰されている。また、これまでつくり手である「建築家」が講師を勤めることが多かった記念セミナーに、「建築史家」である倉方さんを講師として招いたことにも、建築を文化として根付かせようとする市側の意気込みを感じることができた。
普段から「まちや建築は、いろいろな視点で語ることができた方が豊かなのではないか?」という倉方さんが設定したセミナーのタイトルは「まちを面白くするケンチク語り」だった。『まちに対しての関わり方には、建築家などのように専門家として建築を「つくる人」として関わるだけでなく、その建築の利用者として「つかう人」として関わること、そして、その建築を「語る人」として関わることの、大きく3つの関わり方があり、自分なりのことばで「語る」人が増えることが重要なのではないか?』という導入で、セミナーははじまった。語ることなしには何事も文化にはならず、いろいろなことばで語られ批評されることで良いものが残り、そのような一般の人たちの批評がケンチクを育てるのではないか。自分の立ち位置を「教える人ではなく、自分なりの語りを見つけるためのアドバイスをする人」と位置づけた倉方さんの語りはとてもわかりやすかった。建築家やデザイナーなど「つくり手」のレクチャーはどうしても「作品解説」的なニュアンスが強くなってしまうので、九州のようにデザインや建築についてのメディアが存在しないまちでは、倉方さんのように「つくり手」とは違った視点でケンチクを語ってくれる人がいることは、とても重要なことだと感じている。
ボクの語りの原点
倉方さんのレクチャー後、ボクの「語る」の原点について考えてみると、小学校5・6年生の担任の先生に出会ったことじゃないかと気づく。毎朝ホームルームの時間に「3分間スピーチ」と題して、音楽のこと、車のこと、傘のこと、歴史のこと、先生がいろいろなことを話してくれた。スピーチが終わったあとに「僕はこう考えたんだけど、君たちはどう思うか」と生徒に質問を投げかける。指名されて「ぼくも〜さん(くん)と同じ意見です。」と答える人がいると、「全く同じことでもいいから、自分の言葉でしゃべってみて」とツッコミが入る。それで同じことをそれぞれが自分の言葉で説明すると、面白いほど語り方に違いがある。毎朝いろいろな話題についてスピーチをして、同じことを繰り返すと、5年生の3学期ごろには、ほとんどの生徒が挙手で「僕はこう考えたんだけど」と話すようになる。「オレ(ワタシ)にしゃべらせろー」と。それで6年生になると、生徒にバトンが渡されて、毎朝その日の担当の生徒が「自分の趣味や語りたいこと」を発表する。いつもとは違った一面に出会い、とても楽しかった。普段全く喋らない女の子が発表する会や、テストの点数がいつも最下位の生徒がいい発表すると、拍手喝采だったり。
ボクたちは先生ではないので教えることはできないかもしれない。でも、ひとりの「つかう人」として、建築やまちのつかい方(楽しみ方)を伝えることはできるし、また、「つくる人」として建築をつくることができるので、語るに足りる「ケンチク」をつくる過程で、「どう思う?」や「こう思う」など、たくさんの人たちと「語り」を共有できたらと思っている。