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豊田市美術館 / 石上純也さん / Another scale of architecture

昨年末、東京に行く際に、新幹線で名古屋を経由していくことにした。その日は、建築家/石上純也さんが豊田市美術館で行っていた「建築のあたらしい大きさ」と題した展示の最終日であり、それを見ることが目的だった。展示自体は終了し少し時間も経ったが、展覧会を通して感じたこと、その後に新建築の2011年1月号の巻頭論文(建築論壇)を拝読して考えたことなどをまとめておきたいと思う。

まず、感想を述べる
これまでにも、2007年にars galleryで開催された「DEROLL」での作品や、東京現代美術館「Space for your future」での「四角いふうせん」、2008年に竣工した神奈川工科大学の「KAIT工房」、昨年秋SHISEIDO GALLERYでの「石上純也展」など、度々石上さんのお仕事を拝見する機会があった。その中で、今回の「建築のあたらしい大きさ」(英訳の “Another scale of architectuer”のほうが、展示の本質をついていたと思うが)で展示された作品群(建築)は、その成立のさせ方、体験のさせ方、どれをとっても、それらのどの作品よりも、「石上純也」という人間の本質をついているし、どの建築よりも素晴らしい、と感じた。それは、ヴェネツィア・ビエンナーレでは「空気のような建築」と題されていたものが、豊田では「雨を建てる」と題名を変え、柱の本数を極限まで減らしながらもスケールとしては約3倍になって自立していることからも明らかだったのではないだろうか。それは、時代を斜めから切るような態度では決してなく、建築に真剣に向き合おうとしている姿勢であり、そこに熱を感じ、純粋に感動を覚えた。

建築論壇「自由な建築」
ただ、展示を見終わった後に、とても大きな違和感が残っていた。何が違和感なのかわからないくらい大きな違和感で、その正体が「圧倒的な作品の情報量に対して、その表現の出発地点が示されていなかったこと」であると気づいたのは、数日後に、新建築2011年1月号に掲載された石上さんによる論文「自由な建築」を読んだときだった。石上さんはこの中で、「現代において建築は、世の中と密接な繋がりを持って提案できなくなってしまったように思う.」と語り、だから「すごく根本的に、いかにして建築を構築していくかという、根源的な問いかけが、今の時代には重要になりつつあるように思う.」と述べている。ここではじめて、自身を取り巻く状況のどのように捉え解釈し、それに対してどのようなスタンスや表現が必要だと考えているかについて言及している。それによって「石上純也」という建築家の現在地というか、社会の中での軸足ともいえる場所に気づくことができた。

わかりやすすぎる言葉 / 正確すぎる言葉
「ボクは透明性に興味があります。なぜならば、空間が透明だからです。」
デザインイーストで、石上さんはそう語った。この言葉は、あまりにも単純なロジックなので、一見とても強度のある言葉に感じる。しかし、このわかりやすすぎる言葉によって、たくさんの事柄や真実が、霧でぼかされ、ピントを外されてしまっていたのではないだろうか。これまでにも、石上さんは自分が設計したものをかなり正確に、わかりやすく記述している。「KAIT工房」では「2000平米のワンルームを304本の柱」で構成し、「四角いふうせん」では「15×20×19Mのアトリウムに、7×14×13Mの少し歪んだ風船」をつくり、NYの「yoji yamamoto New York gansevoort street store」では「797平米の三角形の平屋をカットして3つの三差路を建物の回りにつくった」と、「どんなものを、いかにしてつくったのか」ということを、淡々と説明している。建築家の中でも、作品を説明する際のテキストの量などは多い方ではないだろうか。また、作品を形容する際に「軽い・明るい・小さい・美しい・柔らかい」などの身体感覚に関わることばや、「海・山・森・雲・空」などの自然や環境に関わることばをよく用いている。それらの単語は、老若男女誰でも知っているものであり、そうやって提示されたテキストが、あまりにもわかりやすく正確な「作品解説」だったため、「なぜ、そのように考えるに至ったのか?」や「なぜ、そのような状態が必要であると考えたのか?」というとても根本的で根源的な問いに対する答えの有無など、考えることがなかったのかもしれない。いままでに正確でわかりやすい「作品解説」しかしなかった人が、「建築と世界との新しい関係」について社会と接続的に話しはじめたことが、とても嬉しかった。

さいごに
石上さんは大阪(デザインイースト)で、「与えられた環境の中で、条件のなかで、自分がどのよなことを求められているのかを考え、美術館の中では、”ギリギリ建築として成立しない” アートとして構築物をつくった」と説明した。美術館の中ではアートを求められるので、「構築的なアートをつくった」と。美術館のようなまわりの環境から切り離された切断的な空間の中では、文字通り「ゼロ」から構築的な作業を進めることができるし、その建築家の背骨(もっともその人らしい部分)や、内側からくる問題意識などで、建築することができる。ノイズや空気すらコントロールできる、外から切り離された環境に対して接続的に構築をはじめることと、到底コントロールできそうにない、自然または人工的な環境や、与条件の起伏のある接続的な環境の中で構築をはじめることには、とても大きな差異がある。そのような状況の中で「微細であること」や、その価値観がどのようにして成立していくのか、やはり、とても気になるところであり、「豊田」以降の、これからの石上さんの建築が、その答えを示してくれると思っている。