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Geoffrey Bawa / スリランカ / 古森弘一さん / 報告会

昨年末に、北九州を拠点とする建築家/古森弘一さんによる、ジェフリー・バワ建築ツアーの報告会が行われた。
きっかけは昨年夏に開催された、JIA(日本建築家協会)が主催した「U-40 建築家セミナー2010」での、建築家/古市徹雄さんのレクチャーだった。古市さんは、建築家として建築を設計するだけでなく、都市計画家として世界各地でたくさんのプロジェクトを手がけている。そのレクチャー後のパネルディスカッションに、2009年に引き続きパネリストのひとりとして、「5×2020」展の出展者(イノウエサトルさん清原昌洋さん/古森弘一さん/松田和也さん/井手の5名)のみんなで参加した。ディスカッションでは、古市さんの「住宅作家(住宅だけを設計する設計者)は建築家ではない」という少々過激な投げかけにアジテート(刺激)されて、とても楽しい議論が展開された(そのことばの真意は、「建築家には未来のビジョンを示すことができる側面があるのだから、住宅の設計と同様にその周辺のまちことも考えてはどうか」という投げかけだったと理解している)。そう発言した古市さんがレクチャーで発表したものは、J.G.バラードのSF小説「時間都市」から発想を得て世界各地でワークショップを開催してきた「15平米の住宅」プロジェクトなど住宅の規模以下の大きさの建築のことや、近年考えているできるだけ機械に頼らずに、風/光/水などのエネルギーを利用した建築のことなど、過去について一切触れず、これから先の未来について思考したものばかりだった。その古市さんがレクチャーの中で、21世紀を代表する建築家・思想家として紹介した人物が、スリランカの建築家「Geoffrey Bawa / ジェフリー・バワ」だった。古市さんを発起人としてその建築を巡るツアーが昨秋企画され、ツアーに参加した古森さんによる報告会が行われることになった。

ジェフリー・バワ(1919 — 2003)は、スリランカ生まれの建築家だ。ケンブリッジ大学で英文学を学んだ後にロンドンで弁護士になるが、1946年帰国。1954年AAスクールに入学し建築を学ぶ。卒業後、38歳で建築家のキャリアをスタートさせたという異色の建築家である。近代建築の手法を学びながらもスリランカの地域性を色濃く反映させた作風が、2009年スリランカ内戦終結を契機として、近年注目され始めている。

スライドから受けるバワ建築の印象は「とても居心地が良さそうだ」という、とてもシンプルなものだった。「熱帯性の高温多湿な気候の中で、どのようにして快適な生活の質を手に入れるのか?」そんなとてもシンプルな問いに対して、何の迷いもなく設計をしているように見えた。カンダラマホテル[1994]、カニランカホテル[1996]、ライトハウスホテル[1997]、ザ・ブルーウォーター[1998]などバワの代表作と言われるホテル群は、彼が70歳を超えてから完成した晩年の作品であり、様々な出来事や価値観を経験し乗り越えた者だからこそ実現した建築の質感なのかもしれない。九州のような暑さと寒さが同居する地域で設計をするボクたちにとって、また、これから設計を続けていこうとする若い建築家にとって、たくさんの気づきと勇気を与えてくれたスライド会だった。

バワの建築を体験した訳ではないので、具体的な建築についての感想を書くことはできないが、そのバワの建築を裏支えしている社会構造や価値観には、とても興味をもった。建築家の方々ならば似たような経験があるかもしれないが、カンダラマホテルのような、緑で覆われた建物を美しく維持管理していくことは、想像する以上に難しい。バワの晩年の代表作は、その建築の良さを保つために、芝刈り、剪定、塗装、補修、清掃など、毎日継続的に手入れが行われているという。スリランカでは、現在でも(インドほどではないようですが)職業カーストの名残があり、安価な労働力によって支えられていることなので、このことに対して言及することはとても難しい。でも、バワの建築を地域の財産だと捉え、それを地域の人たちで手入れして受け継いでいく姿には、望めば何でも手に入ってしまう都市部や、階層がない(ようにみえる)フラットな社会とは違った美しさを感じてしまう。

[写真は全て古森さんから提供して頂きました]