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UN-HABITAT|国連ハビタット|People’s Process|主体性を促す

5.11に、デザイニング展2011にて、国連ハビタットとのレクチャーイベントを開催する。このレクチャーを開催することになった経緯や、3.11の震災以降、今考えていることなどを、少しだけまとめておきたいと思う。[写真提供:国連ハビタット]

はじめに|発展途上の地域から学ぶこと
リズムデザインでは、通常のデザイン・設計業務と並行して、継続的にリサーチ(調査)を行っている。その内容は、私たちが拠点とする福岡のこと(これは後日改めてご紹介できればと思います)や、過去の建築事例や、日本以外の地域での設計の事例など様々だ。基本的にスタッフが興味・関心のあることをリサーチし、定期的にみんなで議論している。昨年は、発展途上の地域での事例を調べていた。発展途上の地域では社会的な問題点が人びとの生死に直結していることが多く、また、問題点が明確であるために、その回答(問題を解決するためにつくられた建築や、デザイン)も明快である。そのようなリサーチを通して改めて気づいたことは、先進国と呼ばれる問題点が不明瞭だった(ように見えた)地域に暮らす私たちこそ、そのような地域の人たちに、生き方に、学ぶべきことがたくさんあるのではないか、ということだった。

UN-HABITAT|People’s Process
そのリサーチの中で、「UN-HABITAT|国連ハビタット」の活動にとても興味をもっていた。国連ハビタット(国際連合人間居住計画)は、世界の居住環境の向上・改善を目指す国連機関だ。1978年に設立され、現在は、アフリカ・アラブ諸国、ラテンアメリカ及びカリブ海、アジア・太平洋の、3つの地域拠点を中心に活動している。その3つの拠点の中のひとつ、アジア・太平洋を管轄する拠点(福岡本部)が福岡市内にある。
彼らは、「People’s Process/住民の歩みを基盤としたプロセス」という考えのもと、「つくり手」から出発するのではなく、そこに暮らす「つかい手(地域に暮らす人びと)」をプロセスの中心において、その地域の「ひと、仕組み、材料」のなかでものづくりを考え、「まちづくり(地域復興・開発支援)」を行っている。スタッフは「まちづくり」を経験したことのない人々の中へ入っていき、「どのようなまちをつくっていきたいのか?」という議論からスタートし、上下水道などのインフラ整備、井戸による飲み水の確保、学校や病院等の社会的インフラの整備、ごみ回収等のルールやシステムづくりを行う。現地の人々と共にこのプロセスを経ることによって、自主性、自治性がうまれ、ハビタットが去った後にも自立したシステムが継続されていくことを目的とした活動を続けている。

旅|14カ国・97都市|生活を楽しむ
ボクは、大学を卒業してすぐ、1年間、ヨーロッパに旅に出た(留学ではなく、いわゆる遊学だ)。最初の数ヶ月はイギリスで過ごしたが、その後の半年以上をかけて、14カ国・97都市を旅した。当時(2000年)は現在ほど情報通信技術が発達していなかったため、半年間を文字通り「ひとり」で過ごした。その1年間で最も驚いたことは、ヨーロッパの人たちの生活や街の楽しみ方だった。子供達の遊び方や、日々の暮らし方、昼休みや余暇の過ごし方にまで、街中に「まちは自分たちのものだ!」という感覚が、無意識のうちに溢れているように感じて、それがとても新鮮だった。まちに暮らす人それぞれが「自分なり」にまちを解釈し、使いこなしていて、そのような主体的な人たちがまちの景色をつくり、支えているように見えた。そのような「主体性」を促すこと、いいかえると「愛着」のようなものをまちに暮らす人それぞれが持つことが、まちをよりよい方向へ変えるために必要なのではないかと考えるようになった。

デザイニング|主体性を促す|自走する仕組み
デザイニング展は、「どのようにしたら主体性を促すことができるだろうか?」という問題意識から取り組んでいる活動だ(継続する中でそのことをより明確に意識するようになったのですが)。また、ボクたちの設計者としてのスタンスは、自分たちの「どう思った」よりも、相手が「こう思った」ということを起点に設計や議論を進めることが大切であるというスタンスであり、日頃行っている設計のプロセスも、クライアント(住み手やつかい手)やそのプロセスに関わる人たちに、主体的にプロセスを体験してもらうことを考えて進めている。そのため、国連ハビタットの「People’s Process/住民の歩みを基盤としたプロセス」という、いわば「自走する仕組み」を目指す活動には、共感する部分が多くあった。そこで、今年の初めより、国連ハビタットの活動を紹介し、まちをつくるときに大切なことを議論するための合同レクチャーを開催しようと、準備を進めていた。

3.11|東日本大震災
その準備を進めている最中に、3月11日の東日本での地震と、それに伴う津波による災害が発生した。予想もしていなかった状況に困惑し、とても心を痛めた。正直に書くと、簡単に予想できたはずの状況(地震や津波、原子力発電所の状況と、その後の計画停電による混乱など)を想像できていなかった自分の想像力の無さに唖然として、何も手につかなくなってしまった。ようやく、なんとか気力を取り戻したのは、3日後(3.14)のことだった。そして、レクチャーの件でメールのやり取りをさせてもらっていた国連ハビタット福岡本部の広報担当官/熊谷氏に、その時考えていたこと(困惑し心痛めていること)を正直にメールした。すると氏より、「今は、それぞれの専門チーム(ここでは救援のためのエキスパートを指しています)が全力を尽くしていらっしゃるので、(復旧や復興支援の専門チーム)それぞれの出番が来るまで力を蓄える時期ではないだろうか?」という返信を頂いた。この言葉に、ボク自身とても勇気づけられ、ひとりの人間として、建築や都市の設計に関わるものとして、「この出来事に対してどのように関わることができるだろうか?」と、真剣に考える契機となった。

3.11以降
3.11以降に、現状を把握するためにいろいろとリサーチを行った。被災した地域の県や市町村のホームページには、およそ2日に1回(隔日)のペースで、災害調査状況と対応をまとめた報告書が更新されていた。しかし、その資料からは「誰も状況を把握できていない」という事実が伝わってきた。そこで、東北地方の自然や地理的特性、被災前より挙げられていた課題や問題点など調べてみた。すると、都市間の距離が長いこと(都市から都市への移動に時間がかかること)や、ミッシングリンク(幹線道路が不連続であり欠落区間がある)による時間距離の歪みなど、震災後の「人、物資、情報」の伝達・輸送を妨げる原因となった地理的・都市的な問題点が、以前より指摘されていたことがわかった。その一方で、2010年度末(2011年3月)までに工事完了を予定していた土木構造物のほどんどが、震災後も無事に残っていることなどもわかった。

災害履歴が参照できなかったこと|住民から出発する復興支援
また、4月6日に、国連ハビタット福岡本部長/野田氏とお会いした際に交わされた会話は、とても多くの示唆を与えてくれた。「今回の災害は未曾有の災害だったのか?」という問いに対して、「今回の災害は、未曾有の災害でも、1000年に一度の災害でもなく、100年の周期で確実に起こると考えられていた規模の災害。事実、1896年に三陸沖では今回と同規模の地震が起きており、高さ38メートルの津波により、2.2万人の命が奪われている。今回の災害の最大の問題点は、これまでの災害の履歴が参照できなかったことではないだろうか。」と、答えてくれた。また、「そこに暮らす人たちが、どこに住みたいか、どのような生活を送りたいか、どのようなまちをつくっていきたいか、その地域に暮らす住民からプロセスの中心に置いた、復興支援や地域開発が必要なのではないか。」とも、語ってくれた。

さいごに|今、考えていること.|最初の一歩
ボクたちはひとつの「解釈」として、世界に存在し続けたいと思っている。建築家という職能の最も優れている部分は、設計の結果できあがった「表現」の部分以上に、その「表現」に辿り着くまでに繰り返された取捨選択や、既に存在する与条件を読み解く「翻訳的側面」にある、と考えている(一般的にそのように捉えられていないことが多いが)。そのような、翻訳的な作業によって導かれた解釈を、柔らかな知性によって、新しい表現に架橋する。誰も考えつかなかった、踏み出すことができなかった「最初の一歩」を躊躇せずに踏み出し、「こっちに行こうよ!」と導くことは、もしかしらた、建築家などの「つくり手」にしかできないことかもしれない、と思っている。思い出や情報は、どんなに力を尽くしても、風化してしまったり、変形してしまうことが多い。それはとても自然なことだし、嘆いても仕方ない、と思う。ボクたち、建築家にできることは、その記憶や災害の履歴を記録・参照し、風化しないために最大限努力しつつも、情報が風化してしまったとしても、人命を守ることができるような「まちの型」を、住民から出発した議論によってつくっていくことだと思っている。 [ 2011.05.08. 事務所前の中庭にて]