事実を正確に記録し、人びとの声や意志を書き留め、残すための、紙束だ。
Text
1896年に三陸沖では今回と同規模の地震が起きていた。高さ38メートルにまで達した津波により、2.2万人の命が奪われている。今回の最大の問題点は「これまでの災害履歴が参照できなかったこと」であり、これから大切なことは、「そこに暮らす人たちから出発する復興支援ではないか」と、思っている。わたし たちにできることは、「自走すること」を、まちや建築の専門者として、しっかりと支えることである。
わたしたちは、ひとつの「解釈」として、世界に存在し続けたいと思っている。建築家という職能の最も優れている部分は、設計の結果できあがった「表現」の部分以上に、その「表現」に辿り着くまでに繰り返された取捨選択や、すでに存在する与条件を読み解く「翻訳的側面」にある、と考えている。そのような、翻訳的な作業によって導かれた解釈を、柔らかな知性によって、新しい表現に架橋する。誰も考えつかなかった、踏み出すことができなかった「最初の一歩」を躊躇せずに踏み出し導くことは、もしかしたら、建築家などの「つくり手」の役割なのかもしれない。
記憶や情報は、どんなに力を尽くしても、風化し、変形してしまうことが多い。それはとても自然なことだし、嘆いても仕方ない。わたしたち建築家にできることは、その記憶や災害の履歴を記録・参照し、風化しないために最大限努力しつつも、情報が風化してしまったとしても、人命を守ることができるような「まちの型」を、住民から出発した議論によってつくっていくことではないだろうか。
― カルテの製作にあたって ―
2011年3月11日に発生した地震とそれに伴う津波などの災害により、多くの方々が亡くなり、多くの方々が被災された。現在、震災から3ヶ月が過ぎようとしており(このテキストは2011年6月5日に執筆)、被災地の状況も復興支援が重要なフェーズへと徐々に移行しつつある。国内では、都市の在り方や計画の方法について様々な議論がなされており、また、様々な具体的な提案がなされようとしている。そのような状況を受け、新建築社が「日本発」の情報を意識して編集する雑誌媒体「JA」の82号(3.11以後、初めて発刊される号)にて、震災の復興支援を担うような、建築や都市についての提言をまとめる特集号を企画した。国内の建築家50名が指名され、「オルタナティブたり得る魅力的な都市空間のアイデアのアーカイブをつくること」を目指し、「新しい都市のアイデア」の提案が求められた。資料には、国土計画から地域計画までスケールの大小は問わないことや、人が集まって生活が形成される「プロセス」に対する提案でも良いことなどが記載されていた。わたしたちは、そこに暮らす人びとの夢や希望から出発したいと考え、具体的な提案ではなく、被災された人びとの具体的な声や意見を記録するためのノートをつくった。