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2005年に福岡で開催したデザインエキシビジョン「デザイニング展」をきかっけに、大川市の家具工業組合からの依頼でスタートした本プロジェクト。高度経済成長の波の中で、価格とスピードに特化した大川が置き去りにしてきたものを、「デザイン」から派生する状況・つながりを通じて取り戻したい、というのが家具工業組合の狙いであった。
大川市は、荷船を造る船大工の技術を活かして、箪笥などに代表される箱物家具の生産地として栄えてきた。ツマミや引手がない手ジヤクリが施されたシンプルな箪笥は、ここ大川が起源である。福岡で暮らす人々には「婚礼箪笥の産地」というイメージが強いが、家具だけでなく、それに付随するガラス・刃物・い草などの多彩な産業が集積し、現在では国内有数の家具産地を形成している。しかし、長引く不況の中で、ピーク時(昭和53年頃)には600社を越える企業が加盟していた大川家具工業組合も、2006年当時には約180社までに減少していた。
構想を練るためにまず、「今の大川」がどんな街になっているのかを知るため、現地に足を運んでみることにした。父が大工であっため、幼い頃から馴染みのある土地ではあるが、実際に足を運んだのは10数年ぶりのことであった。実際に訪れてみて判ったことは、私が漠然と抱いていた今の大川のイメージが、実際の大川の姿ではなかったということである。驚くほど腕のよい職人たちや、見たこともない技術を隠し持つ工場との出会いが契機となり、このプロジェクトがスタートすることになった。
新製品開発のためのプロダクトデザイナーの選定の際には、このプロジエクトの真意を理解し、また、職人気質の強い大川の人々とうまくコミユニケーションが取れるかどうかを重視。地元福岡を拠点として活躍しているデザイナーや、他の地域で同様のプロジェクトを手がけているデザイナーなど、このプロジエクトのコンセプトに心から賛同する方々に依頼した。また、大川の可能性を最大限に引き出すために、家具・プロダクトのデザイナーだけに限定せずに、建築家や美術家、ファッションディレクターなどにもデザイナーとしてご参加してもらった。開発にあたり、デザイナーには「箱物家具の産地として栄えてきた大川の持つ歴史やバックグラウンドを大切にしながら、それにプラスアルフアすることで生まれる新しい思想・関係性の提案を行って欲しい」という大まかな方向性だけを提示し、商品に対しての具体的な方向付けはせずに企画を進めた結果、多種多様な製品群が出来上がった。
このようなプロジェクトを立ち上げた場合、商品開発だけを行っても、広く様々な世代・分野・地域への認知を広げ、商品が流通しなければ成功とは呼べない。地方の地場生産地が行う新商品開発プロジェクトは数えきれないほどあるし、タレント的な大物デザイナーが参画するプロジェクトでもないため、プロジェクトを堅実に持続させていくことが認知につながると考え、自主製作ツールに注力した。ただ単に情報を伝えるだけでなく、「大川に行ってみたい」と思わせることを狙い、DM冊子には各製品のディティール写真のみを掲載し、実際に完成したものは、大川で行われる新作発表会場に行かない限り見ることが出来ないものとした。
このプロジェクトの発表会では、新作発表会にありがちな一方通行的なコミュニケーションの場とならないよう、来場者の意見をくみ上げて今後のプロジェクトを成長材料にすることにした。リーフ型のアンケート用紙を配布し、来場者は会場を見てまわった後に気に入った家具・デザイナーなどをチェック、簡単なコメントを記入する。会場の中心に設置された木の幹・枝振りだけをプリントしたオーガンジーの生地の好きな場所に、リーフ型のアンケート用紙を安全ピンで取り付けてもらうことで、「木」を使用して新たに制作された家具から生まれたコミユニケーションの総量が、最後には展示会場に「森」として現れることになるという仕掛けである。また、会場構成には容易に撤去・運搬・設営が可能なファブリック(生地)を使用し、大川での発表会後に予定されていた他の地域での発表会にも対応出来るように配慮した。