Past Scenary
Dialogue
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明治38年に日本新劇の祖「川上音二郎」邸を間借りして始まった菓子舗を起源とする菓子屋の、建替に伴う内装計画である。かつてここに2階建ての本店があった。700年以上の伝統を持つ博多の祭り「博多祇園山笠」のクライマックスである「追い山」の決勝点「廻り止め」と呼ばれる場所の横に位置し、長い間山笠のタイム計測所として利用されてきた。ここはプライベートな場所でありつつも、地域の記憶に定着した、公的な場所ともいえる。
昔の地図や港の絵などには、かつてこの辺りが海であった痕跡が窺える。中世博多を語る上で重要な地域であり、福岡市の埋蔵文化財包括地に指定されているため、工事に着手するまで約1年に渡り、発掘調査が行われた。その際、地中深くの地層から、湯呑みや器など、当時の博多の人々の暮らしを知ることができる痕跡が、いくつも発掘されている。
博多っ子にとって最も象徴的な街角のひとつであるこの地に「あるべき本店の姿とは?」という問いについて、クライアントと3年近くに渡る膨大なディスカッションを重ねた末に、「いままでの風景を受け継ぎながら、街角の賑わいを内部に延長させるような、屋外的かつ室内的なインテリアの在り方」という方向性にたどり着いた。クライアントから常に求められていたのは、「街角、街への配慮」であった。それは、「外側から内」に向けられた視点であり、この場所で歴史を重ね、菓子を通して博多の文化を継承してきた店として、もっとも守るべきスタンスであるように感じられた。
この本店の象徴となっているのが、「無邪気な間」と命名された、ガラスの塔である。ここには、博多の歴史・伝統・文化のストーリーを背景に作られてきた菓子の数々と共に、菓子の解説や博多にまつわる品々が並んでいる。通常の菓子店は、まずショーケースがあり、客とスタッフがショーケースをはさんで向かい合う構図になることが多い。菓子を媒介として自分たちのブランドイメージを伝えるには相応しい型だが、今回のクライアントが最も大切にしている「菓子を通して博多の文化を伝えたい」という想いを表現するには不十分であった。単に菓子を並べて見せるだけではなく、空間そのものを大きなショーケースに見立て、客もスタッフも、菓子も、歴史を伝える資料も、全てがその中に入り込んだ空間を立ち上げることが相応しいと考え、ガラスの塔を設計し、この店舗の象徴とした。
街の歴史の風景を受け継ぐため、街角に面した部分はこれまでの本店同様角を取り、本店を象徴する看板を移築し、その看板を携える瓦屋根のイメージを意匠として引き継いだ。角を作らないというのは、オリジナリティを信条としてきた初代の「人が角いものを作るなら、こちらは丸いもの」とう遺訓を体現するものである。この店舗に使用している全ての木材の角を落としたことや、奥の壁面やアプローチの床材を緩やかな曲線にして直線と組み合わせたことも、その遺訓を想起させるものである。
この店舗の象徴である外観のファサードとガラスの塔にはヒノキ材を、それ以外は杉材で仕上げている。ヒノキと杉は昔ながらの博多町屋に使用されていた、地域にとって日常的な素材である。特にヒノキは博多祇園山笠の山台(やまだい)にも使用されており、博多祇園山笠の「廻り止め」の横にある本店にとって、重要かつ親和性の高い素材である。