


父は大工を生業にしていました。設計から材料加工、施工まで、家が完成するまでのあらゆることを一人でこなす父の姿を幼い頃から見ていました。父と施主との関係は、委託者と受託者という間柄を超えた信頼で結ばれているように見えました。つくることの全体性を通して育まれる、特有の人間関係に憧れながら私は育ちました。
1990年代末、生まれ育った地元の真ん中を貫くように、環状道路が通ることになりました。見慣れていた家並みは次々と空き地に変わり、そこに巨大な支柱がいくつも建築されていきました。当時大学生だった私は実家に父母と住んでいました。私の幼馴染の家も転居することになり、その親が新居の建築を依頼してくれました。その案件で初めて、父と施主がトラブルになるのを見ました。不信感は周囲にも蔓延し、些細なボタンのかけ違いから、地域の人たちが二つに割れるような騒動になりました。環状道路が土地だけでなく人間関係も分断してしまったように思えました。それ以来、父は家を建てなくなっていきました。

都市計画(デザイン)に暴力性を感じ憤っていた私は、これを大学の卒業設計のテーマに据えました。地元住民の繋がりはどうすれば破壊されなかったのか? この問題意識に対し建築によって光を射すことはできるのか? しだいに、憤りや懐古では良い未来を生まないと考えるようになりました。都市デザインも大工の仕事も、ともに「考え、つくる行為」です。どちらも肯定することはできるのではないか。
この体験を携えて2004年に自身のスタジオ『リズムデザイン』を始めました。同年に始めたデザインイベント『デザイニング展』という活動は、その後10年間続くことになります。ジャンル、 世代、ジェンダー、プロ、アマチュア問わず、あらゆる境界を超えてデザインについて議論したい、 という自主活動でした。「プロセスや体験を共有し、共に学ぶ」ことによって、よりよい状況をデザインすることを目指しました。そこで得られた一定の実感と確信は、その後のリズムデザインにとって根幹となっています。 本展覧会『With Others』は、私とリズムデザインの20年間を総覧する企画です。そのタイトルの通り「他者を肯定しともにつくること」を重視してきた自分たちの活動を、文脈ごとに編集しました。私たちにとって、自分たちと他者は溶けあっており、つくることと考えることは未分化です。 思えば、大工であった父の仕事はまさにそのようなものでした。
(井手 健一郎)